欲しいのは

2005年8月13日
恋愛じゃなくて、親愛だって言うワタシは幼いのかしら。

20も過ぎて未だに、親の無償の愛が欲しいんだって言ってるのは、なんかなー……どうなんでしょうね。
末っ子だしーで済まされない感情な予感…(゜д゜)
なんて言うのか……外から見てる感じ。そこで、なんとなくワタシが欲しがってるのは恋愛じゃないんだろうな、と考えるわけですよ。
うちの親が酷い親だったかって言われたら、そんな事はないんですけどね。
他の家がどうかは知らないけど、まぁ、多少厳しいきらいはあるらしいけれど、ごく普通の家庭ですし。
なのに何故でしょう、ワタシは恋愛にゃ興味なくて、何もしなくても貰えるモノが欲しいと思ってしまうのですよね。
まぁでも……そんなものは存在しない、とも思うのだけれども(苦笑
なんだろうね……期待に応えられないなら駄目なんだろうなと、何時の頃からか思ってるし。なんでそう思うようになったんだか。

あぁ……親愛ともちょっと違うのか。
たぶん移ろわないモノ、が欲しいんだ、きっと。そんなもの、ありはしないのにね。
そうでないなら、はっきりと判るように、何かが欲しかった。かな。
どうしてこんな我侭なお子様っぽいこと考えてるんだろう。

あぁ、そうだ。もう一つ、欲しいモノはあるよ。
親から見て、”可哀想”って思われる何か。
勿論それは「頭の可哀想なコ」って意味じゃないデスヨ?
小さい頃は、姉貴が妬ましかったのよー。まぁ、当時はそんな言葉知らないし、ただ嫌い…だっただけだと思うけど。
だって姉貴、5歳くらいのとき手術で入院してたんだけど――それで腎臓片方取っちゃったみたいなんですけど――、それを理由にごろごろしてても何も言われないのよ。
まぁ、確かにね? 臓器の一部がないっていうので躰に負担掛かってるのかもしれないけどさ、そんなの、幼い私に理解できるわけないじゃないすか。
というか、いくら年だけ大きくなったって、それなりに”子供”してる時分に感情面で納得できないっていうの、あるじゃないですか。
今だって、完璧に納得してるのかって訊かれてたら、否と答えますよ。
だってずるいじゃないか。そりゃ私は健康体ですよ?
大病だってしたことないし、交通事故にあったこともないし。(姉貴は小学生の頃飛び出して車にぶつかって足に怪我したことある。私は姉貴の後ろ着いていってただけだから怪我なかった)
病気にしろ怪我にしろ、小さいのしかしてませんしね。
それにしたって同じに扱ってくれよって思うことも許されないわけよ。
だって私は病気も怪我もせずに健康だから。
理不尽だって、思っても言ってはいけないのですよ。あー、嫌だ嫌だ。
まぁ、それに無口な方よりは、いっぱい喋ってる方が可愛くも見えるだろうよ。
ワタシは、姉貴がずーっと喋ってるから黙ってただけですがね。そんなの続けてたらどうやって会話してきゃいいのかも判らなくなるってもんですよ。
でもそれは言えないの。
だって喋らなかったのはワタシだから。割り込むな、とは言われて無かったしね。

……いや、これワタシの主観だし、親から見たらきっといろいろ相違点はあるだろうけどさ。
それでもさ、”可哀想”だからってある程度許されるのならば、そう思われたいぜって思うのも、……悪いこと?

うだうだ考えてる自分、すごい嫌いなんですけど、どうしたらいいでしょう。
っていうか考えて無くても、自分のこと嫌いな人間なんで。
なんか「自分のことが嫌いな人間は、誰からも好かれないのよー」みたいこと言ってるヒトっているじゃないですか。
そういうのって、自分のことを多少なりとも好きだから言える言葉だと思う。まぁ、これはネガティブ思考な人間の戯言ですけどね。
だけどね――だけどって変か、なんかよく判らないや、ただ、ワタシが私を嫌いでも、見捨てない人が欲しいのさ。
恋愛みたいに近すぎる想いはいらないの。夢から醒めたほうが辛い。相手の理想との乖離、気づいたほうが辛い。
親愛っていう、近い場所で自分を肯定される感情も、ひょっとしたらキツイかも。ワタシは私が嫌いだから。

言葉を纏めるのは苦手だな。
なんか……近すぎない場所で、否定も肯定もしないモノってないもんかな。

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